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消防本部


◎消防記念日はいつ? ◎1月26日は文化財防火デー
◎消防車はなぜ赤い? ◎危険物安全週間とは?
◎消防団のルーツ 町火消「いろは四十八組」 ◎防災の日と二百十日
◎119番の起こり ◎火災予防運動週間
◎救急業務のはじまり ◎11月9日は「119番の日」
◎戦場から送られた火の用心 ◎1月17日は「防災とボランティアの日」


 3月7日は消防記念日です。
 現在の消防組織は、昭和23年(1948年)3月7日に消防組織法が施行され、これまで警察組織の一部局であったものが、消防が完全に市町村の責任において運営管理されることとなり、自治体消防組織として発足しました。消防記念日は、消防組織法が施行されたのを記念して、同法施行2周年を迎えた昭和25年(1950年)に設定されました。
消防記念日
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 消防自動車が赤色とされた理由は定かではありませんが、外国から輸入した蒸気ポンプや消防車が赤であったことから、わが国でも赤色としたというのが一般的な理由のようです。それに、赤色は注意を引く色であること、炎の赤を連想させ警戒心を起こさせるなども理由の一つに数えられるでしょう。
 現在では、「道路運送車両の安全基準」という運輸省令で、「緊急自動車の車体の塗色は、消防自動車にあっては朱色とし、その他の緊急自動車にあっては白色とする」と定められています。一般に消防車は赤といわれていますが、法規上は朱色なのです。
消防自動車
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 消防団の生い立ちは、江戸時代の町火消にまでさかのぼります。
 享保3年(1718年)に大岡越前守忠相が、町火消をつくり、享保五年(1720年)には「いろは四十八組」を編成し、本格的な町火消制度を発足させました。
 町火消は、お互いに組の名誉をかけて働くようになり、纏(まとい)をかかげて功を競いました。はじめは出動範囲も町屋だけに限られ、武家屋敷の火災に纏をあげることはできませんでしたが、徐々にその功績が認められ、武家屋敷の火災はもちろん、延享4年(1747年)には江戸城二の丸の火災にも出場して、町火消全盛時代を築いていきました。
 明治維新を契機として明治5年(1872年)に、町火消は消防組と改称され、昭和14年(1935年)警防令に基づいて組織された警防団に統合されました。
 昭和22年(1947年)新たに郷土愛護の精神をもって水火災の予防・警戒・鎮圧などに従事する消防団が組織され、昭和23年(1948年)3月23日消防組織法に基づく今日の消防団となりました。
いろは四十八組
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 明治20年(1887年)消防隊への出場指令などを早めるために、消防への電話導入がなされ、電話による火災通報が始まりました。しかし、電話局では緊急優先の取扱いをしていませんでしたから、その目的を十分果たせませんでした。
 大正15年(1926年)1月20日、電話局で自動交換方式が採用され、このときにダイヤル112番が火災報知専用の号とされました。一刻を争う危急のダイヤルであるため、ダイヤル時間の短い番号として指定されたのですが、ダイヤル方式に不慣れなためか誤接続が多くありました。昭2年10月1日に、地域番号(局番の第1数字)として使われていない"9"を使うこととして今日の119番が誕生しました。
救急業務のはじまり
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 救急業務の記録としては、18世紀のナポレオン戦争のとき、フランス軍医のジーン・ラリーが、戦場を走らせて傷兵の救護に当たったという記録があります。市民生活の中では1869年にシンシナティ市(アメリカ)の病院が、救急馬車を使って患者を搬送したという記録が残っています。最初の救急車は、1899年にシカゴのミハエル病院で使われたのに始まるといわれています。
 わが国における救急業務は、神奈川県警察部が昭和8年(1933年)に横浜消防署に、キャデラックの改造車を配置したのに始まります。
119番の起こり
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「一筆啓上火の用心お仙泣かすな馬肥やせ」これは、徳川家康の家臣であった本多作衛門重次が、長篠の合戦(1575年)の時に、国許の妻に送った手紙であるといわれています。戦場から送ったこの手紙は、簡素にして要を得た文であり、手紙文の手本として今日でもよく紹介されています。 戦場から送られた火の用心
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 昭和24年(1949年)1月26日、奈良県斑鳩町の法隆寺金堂から出火し、1300年の歴史を持ち世界的至宝である日本最古の国宝十二面壁画の大半が焼損しました。その後も、文化財の焼損が相次いだことから、消防庁と文化庁では、文化財を火災や地震、その他の災害から保護し、国民の文化財愛護思想を普及しようと、昭和30年にこの日を「文化財防火デー」と定め、以来この日を中心として全国的に文化財運動を展開しています。
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 危険物安全週間は、毎年6月の第2週の日曜日から土曜日までの1週間です。
 消防法上の危険物とは、石油類、塩素酸塩類、金属ナトリウム、セルロイド類などの、発火性又は引火性を有した物品を指しています。
 今日、石油類を初めとした危険物が、日常生活のあらゆる分野に浸透しており、社会生活の向上に大きく貢献しています。ひとたびその取扱いを誤ると、火災又は爆発などの災害を引き起こす、潜在的な危険を有しています。これらのことから、危険物を取り扱っている事業所などにたいしては、危険物の自主保安管理の推進を呼びかけ、住民に対しては、危険物に関しての理解を呼びかけ、住民生活の安全を確保しようと、平成2年に消防庁によって「危険物安全週間」が制定されました。
危険物安全週間
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 毎年9月1日を「防災の日」、9月1日の防災の日を含む1週間を「防災週間」と定め、国民ひとり一人が、台風、高波、津波、地震などの災害について、理解を深め、これに対処する準備をしょうと、呼びかけています。
 9月1日は、関東大震災(大正12年(1923年)9月1日午前11時58分、相模湾北西部を震源として発生したマグニチュード7.9の巨大地震で、関東地域全域に甚大な災害をもたらし、死者・行方不明者は10万人を超えた。)が発生した日であることと、暦の上では二百十日(立春から数えて210日目の日で、太陽暦では9月1日ごろにあたり、220日目の二百二十日とともに、台風が襲来する日とされている。)にあたり、災害が多発するシーズンであるため、昭和35年(1960年)「防災の日」と制定されました。
 災害に対しては、常日頃から注意を怠らず、万全の準備を整えておく必要がありますが、災害を未然に防ぎ、又は、被害を最小限に止めるためにはどうしたらよいかということを、みんなが各人の持ち場で、家庭で、職場で考え、そのための活動をする日が9月1日の防災の日です。
防災の日と二百十日
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 毎年、秋季火災予防運動週間として11月9日から15日までの1週間、春季火災予防運動週間として3月1日から7日までの1週間を、全国的に火災予防運動を実施しています。
 全国では、毎年6万件の火災が発生し、およそ2千人の方が亡くなっています。火災原因の大半は、ヒューマンエラーなどによる失火であることから、火災を未然に防ぐには、ひとり一人が防火の重要性を自覚し、火災を起こさないよう日常の生活において防火を実践していくことが大切です。
 火災予防運動は、空気が乾燥し火災が発生しやすい時季に、火災予防を理解し、火災の発生を防ぎ、火災による死傷者の発生や財産の損失を防ぐことを目的に実施しています。
火災予防運動週間
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 消防庁は、昭和62年に11月9日を「119番の日」と定めました。
 「119番の日」は、地域住民と消防とをつなぐダイヤルナンバーにちなんだものですが、正しい119番通報とは、どのようなものかご存知でしょうか?消火活動や救急・救助活動は、1分1秒を争う時間との勝負です。
 消防本部では、119通報を受けると直ちに消防車や救急車などを出場させます。もし、慌ててしまい、場所などを正しく伝えられなければ、災害現場への到着が遅れてしまい、被害が拡大し大惨事になったり、助かるはずの命が助からなくなる場合もあります。'いざという時に備え、電話機のそばに自宅の住所や電話番号などの必要事項を書いたメモを貼っておくなど、普段から落ち着いて正確な通報ができるよう心がけてください。
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 平成7年1月17日に発生した阪神・淡路大震災の際は、様々な分野にわたるボランティア活動や住民の自主的な防災活動が、復旧にあたり大変重要な役割を果たしました。
 被災地における多様なニーズの発生に対し、きめ細やかな防災対策を講じるうえで、ボランティア活動が非常に重要な役割を担っていることが認識され、その活動がマスコミで取り上げられるなど国民の関心が集まりました。広く国民の方々に、災害時におけるボランティア活動や住民の自主的な防災活動について認識を深めていただくとともに、災害への備えの充実強化を図ることを目的として、平成7年12月閣議了解で「防災とボランティアの日(1月17日)」及び「防災とボランティア週間(1月15日~21日)」が定められました。
防災とボランティアの日
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